漫画家が100人いれば100通りの漫画家人生がある、というのは本当の本当で、
それは、誰が誰に当てはめてもおかしくなります。
だから、何歳でデビューするとかあの雑誌じゃなきゃとか原稿料云々とか、担当さんとの関係とか、
それはそれはもう、本当に個人個人、全く違って当たり前なんです。
それこそ。。。ハッキリ言っちゃうと、原稿料なんて本当に、天と地どころか宇宙とマントルぐらいの差が
ありますからね!!!ギャフン!!! 印税もか!
でも、そういう職業を選んだのは自分なので。
私は、26歳で運良くデビューしてからずっと、とにかく”漫画家であり続けること””漫画を商業誌で描き続けること”だけを目標にしてきました。
そして、幸いにして。。実家のスネをかじりまくりながらも、どうにか漫画家として生計を立てて、今に至ります。
安定して収入を得る、というのが職業の大前提だと思うので、その意味では私は”漫画家”になれていたのだと思います。
(ギリギリですけどね!)
でも恥ずかしながら、思い返すとデビュー当時からずっと、私には”描きたいもの”がなかったんです。
本当に、な〜〜んにもなかった。空っぽでした。表現者としてはありえない、本当に酷いレベルで。。
当時、メジャー誌でデビューさせてもらえたのは、奇跡に近かったと思います。
案の定、その後掲載どころかネームが通ることも叶わず、その雑誌は去ることになり。。
当時の担当氏からも、それはそれはコテンパンに言われましたが、
でも、当時の私は言われて当たり前の状態でした。
そこから紆余曲折。本当に紆余曲折あって14年。。?(くらい)が経ち、
今こうして、オリジナルで漫画を発表できていること、そのものに
ただただ、ありがたさと充実感を感じています。
もちろん、商業誌で描いている限り自己満足では許されないので、
できるだけたくさんの人に読まれてほしい。エンタメとして楽しんでもらいたい。
それが、これからの目標ですね。
だから、デビューして14年くらい経ってますが、漫画家としては
ようやくスタートラインに立てた!くらいの感じです。
今年はもう一本連載させていただいておりますしね。
まさか、自分が二本の連載を持つことになるなんて、、デビュー当時の14年前。。
さらには、ニコラオスの連載が終わった2年前には、
考えられなかった、想像もできなかったことです。
この二本の連載がどのようにして決まり、今に至るのか等々のお話は、
関係者各位に向けた感謝の気持ちも込めて、またそれぞれ、おいおいこのブログで書いていけたらと。
最後に、これは一言だけ、大声で。
私は、本当〜〜に人との出会いに恵まれて、ご縁に導かれて
ここまで運んでもらった…と言う感覚がとても強いです。
今回の『繭の宴』も、そもそもは1年ちょい前、当時の担当Mさんからの一本の電話、
『何か女性向けの漫画の企画考えませんか?』と言うご連絡を受けて
考え始めたものでしたのでした。
なので、この連絡を受け損なうなり、断るなりで、何か一つでもズレていれば
この作品自体が存在していなかった。
そう思うと本当に、感じずにはおれません。
現担当様も含め、お手伝いいただいているアシスタントさんも含め、
私及び私の作品に関わってくださっているすべての方々に、大大、大感謝を。
アイララブユ〜〜!!!ですよ、もう本当に。
愛を飛ばしまくりです。
それこそね。言い出したらね。十数年前、うっかり私の担当になって
うっかりデビューまで導いてくださったもののコテンパンに罵られまくって
妙な感じで別れたっきりになっている初代担当 K氏にも感謝!!ですよ。ほっ本当だよ!
絶対にここ見てないと思うけどw、
Kさん!!私はまだしぶとくここで漫画家として生きてるからね!!!
…愛を飛ばしておきますよ。
また、、、会うことは多分ないかと思いますけど(どうかな?w)でも、
そう言う、少しづつのご縁があって今があることは事実であって。
かみしめつつ、私は今日も漫画を描いています。
これからも、ずっと描いていきます。
新連載なので、全部これからなんですけどね。
(なんか最終回のあとがきみたいなテンションになったw)
しみじみと、ようやくスタートラインに立てたんだなって言う、
ある漫画家の感慨したため日記でした。
と言うわけで、『繭の宴』、よろしくお願いいたしまーす!
(これが本題だった!!)